基本的に他人が大事にしているものについてはそれなりの敬意を示すというのは「礼儀」の基本です。神社に行ったら拍手を打つし、お寺に行けばご本尊に一礼する、カトリックの教会に行けばお灯明を上げる。イギリスに行ったらユニオンジャックに、アメリカに言ったら星条旗に一礼する。それは「そういうもの」を大切に思っている人たちの気持ちに対する当然の配慮です。「鰯の頭」を信心している人たちの社会に行ったら僕は一緒に鰯の頭を拝みますよ。(内田樹『内田樹の生存戦略』29頁)

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昨日、うちの塾長とイギリスのEU離脱について議論しました。ぼくの意見は「イギリスはEU離脱するんじゃないですか?」です。

もちろん、離脱派・残留派ともにそれぞれの道理があります。でも、EUの枠組みの中であれこれするのに「ウンザリしている」イギリスの方って結構おられるように思うのです。そういう人たちが「『独立』待った無し!」と雪崩を打ったら、残留派がそれに対抗するのは難しいのでは…。(あ、カンですよ?)

ともあれ、イギリスの方たちが各々これからも健やかに過ごされることを望みます。

この話をしていて思い出したのが、Nel Noddhingsの『Starting at Home』という本のことです。
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古い中国語に「修身斉家治国平天下」という言葉があります。『礼記』という古典に見える一節で、まずは「身を修めること、家を斉(ととの)え、国を治め、天下を平らげる」と読みます。

第二次世界大戦中、当時の国民学校(今の小学校のようなもの)で「修身」という科目が子供の心身を国家・軍隊に都合の良い形に作り変えるのに利用された、ということはよく知られています。いまわしいことです。でも、それは古典を自分たちの「都合」にあわせて利用した連中の知性の浅さに問題があったわけで、当然『礼記』という古典自体に問題があるのではありません。

『礼記』は今風に言えば「ゾーンに入る方法」を論じたテクストです。「ゾーン」とは、スポーツ選手が、極度の集中状態にあり、他の思考や感情を忘れてしまうほど競技に没頭して、通常より高い運動能力が発揮されているような状態を体験する特殊な感覚のことです。 最近では、テニス解説者の松岡修造氏が錦織圭選手らのプレーが好調である状態を「ゾーンに入っている」という言葉で説明しますね。実は、スポーツに限らず、人間の心身が通常以上の能力を発揮することがあるということについては、古くから注目されていることです。中国語では「礼」という言い方で、人間の心身が通常以上の能力を発揮するために必要な手順・仕方を表しました。

そこでは、「身を修める」ことがはじまりです。自分の心身をきちんとコントロールすることができないと、何もはじまらない。そういう考え方です。

でも、昔から私はこの考え方に疑問がありました。

「自分の心身をきちんと修めるには、生活環境がそこそこきちんとしていないといけないんじゃないか。」

もし、住む家もなく、着るものにも食べるものにも事欠く状態なら、身を修めるというのは、無理でしょう。

そんなことを考えている私に、ノディングズの『Starting at Home』との出会いがありました。ノディングズはこの本でこんなこと言っています。

The best homes provide not only food, shelter, clothing, and protection but also attentive love; that is, at least one adult in the home listens to the needs expressed there and responds in a way that maintains caring relations.
お家の役割は衣食住の条件を満たすだけではありません。私たちはお家で愛情に包まれて、ほっとすることができるのです。そこでは誰かが、あなたが表明すれば、その要望を聞き取ってくれますし、そうでなくてもきちんとあなたの面倒を見てくれます。

The best homes prevent physical harms as fa as possible, and they also minimize psychological harms.
お家にいるとあなたは何かに心身を傷つけられることがほとんどありません。
The best homes approve of pleasure, and many pleasurable activities are shared.
お家は楽しい場所です。そこではみんなが楽しく過ごしています。
(Nel Noddings, Starting at Home, UCP,2002, p.284)

この本、今でも邦訳されていないんです。ノディングズ先生の英語、結構ムズカシイんですよね。大事なことを言っているのはわかるんだけど、(私には)上手く母語にできない。ここではちょっと攻めた訳し方をしました。

ここでは”Home”を「お家」と訳してみました。「ウチ」としても良いかも。あっ、関西弁で訳してみようかな(笑)

ウチにおったら、ごはんが食べれて寝るとこがあって着るもんがあってってだけちゃうねん、愛があんねん。誰かがアンタの言っていることを聴いてちゃんとしてくれるし、そうじゃなくてもちゃんとお世話してくれんねん。

ウチにおったら、アンタのからだもこころもそんな傷つけられへん。

ウチはオモロイとこやで?みんなオモロイねん!

あー(笑)良いかも!出来たら関西人女性のボイスで再生してください。

なんだか「ウチにおいでや!だいじょーぶやで!」とその人が言っているみたいですね。そういうところが、ノディングズの言う”Home”なんです。私たちにはそういう場所が欠かせない。

10年前は同じ本を読んでも、この”Home”という表現が上手く理解できなかった。ノディングズ先生が何を言っているのか、大切なことを言っているのはわかるのだけれど、自分自身の言葉の蓄えが足りないものだから、上手く理解できなかった。

でも今は、ノディングズ先生は「身近な環境を大切にしよう」と言っていたのだと理解できます。自分たちが生活している環境をどれだけ居心地の良いものに出来るか。そのための工夫と手間を惜しまない暮らし方が大切だ、とおっしゃっていたのだとわかります。

何もそれは家庭に限ったことではありません。家庭も地域もローカルな集団です。ムラ(村)だって、私たちが社会科の時間に学習するクニ(国)だってそうです。ノディングズ先生の英語を関西弁に訳して、”Home”を「ウチ」とすると、何も”Home”は家庭に限ったものではないということがうかがえます。大小さまざまなローカルな集団がここでは”Home”にあたるのです。

ローカルな集団にはローカルな暮らし方や伝統があります。合理的な説明は難しいけれど、そういう暮らし方や伝統があった方がそこで暮らす人たちにとっては居心地が良いというものです。

それが「ローカルルール」というやつですね。「ローカルルール」は大切です。それを大切にすることで、その場所が私たちにとって居心地の良いものになる。

家庭も地域も国民国家もありとあらゆる領域の境界線を無効化するグローバル資本主義は確かに便利です。お金でお金を買うぐらいの金持ちには。

でも、そうじゃない私たちにとって大切なのは、そういうビジネスを可能にするグローバルな組織や枠組みでなありません。

私たちがそこそこ居心地よく暮らすことができるローカルな集団、そしてその居心地のよさを担保するローカルルールが大切です。

穎才学院もそういうローカルな居場所でありたいと思います。これまでのように、これからも。